せっかくなので今回も写真を借用…
こちらは約200年ほど前にラウマで織られたボビンレースの断片です。
pitsejä Raumalta(ラウマのボビンレース) 19世紀初頭 画像元:pitsejä Raumalta | Museovirasto - Musketti | Finna.fi ライセンス:CC BY 4.0 |
これらのうちの3枚については、織り手もわかっています。中でも注目すべきは左側の一番上のレース。その織り手は15歳だそう。
これらのレースが織られた時代ほどは昔のものではないけれど、今から80年近く前…1938年に作られた、ラウマのボビンレースに関する約7分のドキュメンタリー映画です。
ラウマのレースについて、この映画の解説をもとに説明すると…
ボビンレースはイタリアやフランドルで作られていましたが、そこから、いつどうやってラウマに伝わったのかは、よく分かっていません。修道女によって伝わったという説もありますが、確信はないようです。
この映像によれば(つまりあくまで1938年頃の話です)ラウマでは6歳ぐらいになると、女の子だけではなく時には男の子も、ボビンレースを始めます。
ずっとボビンレースをやっていれば覚えるものだよ、とレースを織る人たちは言います。でも、結婚をしてしまうと、最高のボビンレースは織れないのだとか。結婚をすると子供もできるし夫もいるしで、じっくりとボビンレースに取り組み事ができないから。ラウマでボビンレースの名人として知られてきた人たちというのは、未婚だったそうです。
ラウマでボビンレースが始まった時期は定かではないものの、18世紀には、ボビンレースが商品として生産されていたのは分かっています。ボビンレースは、国内各地と、さらには国外にも売られていたそう。19世紀の初めには、ラウマでは約600人がボビンレースで生計をたてていました。
Tykkimyssy(前回の記事の写真にある女性用の被り物)が流行った18世紀には、そこに取り付けるためのレースがこぞって織られたそうですよ。そして、その当時はまだ、ボビンレースも高く売れました。例えば、1790年台にはレース1mの値段が1938年の金額に換算して200フィンランドマルカほどだったそう。これは今の金額に換算すると70€ぐらい。日本円だと8500円ぐらいですね。
でも1938年頃には、1mあたりの値段が90~95フィンランドマルカ。これは現在の金額に換算すると30€あまり…4000円弱です。
まあまあじゃない?と思うかもしれませんがとんでもない。繊細なレースになると、1日に10時間の作業を1週間続けて、やっと1m織れるというペースなんだそうですよ。ですから、時給にしたらごくわずか。さらに、そのような繊細なレースの糸は外国産。糸代を引いたら、織り手に残る金額はもっと少なくなります。
これが、1938年頃のこと。今はもう、ボビンレースを織ることだけで生計を立てている人はいないでしょう。それでもラウマ地方ではまだ、ボビンレースの伝統が残っています。毎年夏には、ラウマ・レース・ウィークというイベント週間もあるんですよ。
2 件のコメント:
すごい。
この編み(?)進みながらピンを打つ作業を見たかったんです。
まさに百聞は一見に如かずですね。
あれこれ読んだ文書の中にも、5,6歳頃から、伝統文化として子供が教わるものだとありました。
ブリュッセルレースの繊細さによく似て、細やかな華やかさがきれいですね(*^^*)
すごいですよねえ。
老眼であってもおかしくない年代の方たちも裸眼で織っていますよね。
やっぱり小さいころからの積み重ねなのかなあ。
昔は何の手仕事にしても、小さいころから取り組んだのでしょうね。
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