手織り・染色・手紡ぎ等々、手仕事の記録です。フィンランドでのものづくりについても紹介しています。フィンランド発信。

リュイユの歴史

フィンランドの公共放送Yleが、リュイユに関する動画をいくつか公開しています。下の埋め込み動画はその中のひとつ。再生していないときの表示がちょっとへんなのは許してください。提供されている埋め込みコードをそのまま入れているのですが、なぜかこうなる😓 ▶をポチっとして再生を始めれば問題ないはずです。ただ、解説は全部フィンランド語なので、埋め込み動画の下に内容を日本語でご紹介しますね。


下のライン以降が動画の内容を日本語にしたものです。かなりの意訳がありますし、省いているところもあります。そのへんはご勘弁くださいませ💦 必要に応じて動画でのおおよその該当箇所へのリンクも( )内に書いておきます。



フィンランドでは700年近くリュイユが織られてきました。バイキング時代の始め、西暦800年ごろにバイキングたちがスカンジナビアにリュイユを伝えました。バイキングたちが使っていた大きなマントは、リュイユの技法で作られたとされています。それは粗いノッティングのマントでした。

ノッティングの技法は昔から知られています。中東の絨毯、例えばこのクルドの絨毯の構造はリュイユと非常によく似ています(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=47)。でも、中東の絨毯は硬くて丈夫。一方で、リュイユの方は絨毯よりもノッティングの間隔が広く糸はずっと長い。これは、本来の機能が体を守り保温するというリュイユの性質によるものです。

「リュイユ」という言葉の語源は、古代スカンジナビア語の「ry」で、もともとは「荒い」「ふわふわした」という意味です。

リュイユとは織物です。他の織物と同様に経糸と緯糸で構成されますが、リュイユではそれらに加えて糸が結びつけられます。糸を結びつける方法にはいろいろありますが、フィンランドで一般に使われているのは、ゴルディオンノット(スミルナノット)といわれるものです。糸を経糸に巻き付け、その糸を経糸の間から引っ張って表に出すというものです。(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=96

語源が示すように、リュイユはフィンランド発祥ではありません。でも、何世紀にもわたってフィンランド独自に発展し、今では海外でもフィンランドのテキスタイルとして知られるようになりました。

リュイユはスカンジナビアから取り入れられ、そこからフィンランドの西海岸地域に広まっていったわけですが、そのありようは歴史のなかで変遷してきました。

初期のリュイユは実用品で、人を暖かく保つための掛け毛布として使われていました。このようなリュイユは何枚かに分けて織られ、それらを縫い合わせて大きいものを作っていました。毛足はかなり長く、毛皮を思い起こさせるようなものでした。掛け毛布としてノッティングの糸が下になるよう使われていたため、初期のリュイユにはあまり模様がありません(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=186)。折ったときに見えるよう、せいぜい上部に模様を施すぐらいのものでした。

ごく初期は、単純な幾何学模様が施されました。装飾への意欲が増すにつれ、十字架、四角形、星形などが施されるようになりました(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=205)。

そして17世紀には、両面リュイユが作られるようになりました(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=232)。用途は依然としてかけ毛布です。かけたときに下になる面は保温性のある長い毛足で覆われ、表側はより装飾的で短く密度の高いノッティングでした。

18世紀になると、掛け毛布としてのリュイユの役割はなくなり、純粋に装飾品となっていきます。高価で手間のかかるリュイユは、結婚の祭事で使われるようになります。結婚式ではブライダルリュイユとして新郎新婦の下に敷かれ、そのあとリュイユはベッドを、あるいは壁や床を飾りました。

モダンリュイユとしては、アールヌーヴォーリュイユとアートリュイユをあげることができます。

アールヌーボーリュイユ(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=293)は20世紀初頭のリュイユです。ベンチリュイユ、あるいはマットとして、リュイユは再び実用テキスタイルとなりました。これらのリュイユは、デザイナーが明記されるようになる最初のものです。

モダンなアートリュイユ(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=312)では美が追求されています。これはフィンランドのテキスタイルデザイナーらにとっても非常に興味のそそられる領域で、作品も多種多様です。素材も、馬毛・ウール・リネン・金属など多岐に渡り、ノッティングの長さも様々です。


フィンランドのリュイユは美しく色鮮やかで、スウェーデンの王宮にも持ち込まれていました。特に16世紀、グスタフ1世は、リュイユの制作とその輸出を推進しようとしました。

リュイユは城以外でも使われてはいましたが、長い間、上流階級の人々だけのものでした。特に装飾のなされた高価なものは庶民には縁はなく、主に西海岸の上級層人々がリュイユ文化を支えていたといえます。17世紀のリュイユは、その美しさが重要な特徴のひとつのなっています。

18世紀後半、リュイユが使われていた地域です(地域名は省きます。気になる方は動画の地図 → https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=431 をご覧くださいませ😊)


フィンランドのリュイユの美しい色彩は、スウェーデンでも知られていました。リュイユ用の糸は、自然界にある植物染料で染められ、柔らかな色合いと相性の良い色を作り出していました(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=457)。1750年代には色の可能性が広がります。ヨーロッパの港からコチニールやインディゴなどの染料が輸入され、そこから赤や青が得られるようになったのです。18世紀の終盤から19世紀の初めにかけて、フィンランドの装飾的なリュイユは輝かしい時代を迎えます。

コットンの掛け布団が普及すると、リュイユを掛け毛布として使うことはなくなり、それは装飾として壁に掛けられるようになりました。そして民族的リュイユは19世紀末に衰退していきます。

20世紀に入ると、リュイユの文化的・歴史的価値が認識されるようになりました。首都圏の文化人たちはリュイユを再発見し、人々は美しい古いリュイユを蒐集しました。リュイユが蒐集品としての地位を気付いたのです。

美術商のイヴァル・ヘルハンマーも熱心な蒐集家でした。1918年、彼はヘルシンキのギャラリー・ヘルハマーで、フィンランドのリュイユを集めた初の特別展を開催しました(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=614)。ヘルハンマー氏のこの展覧会は、シレリウスによる書籍プロジェクトも実現させました。『Suomen ryiju(フィンランドのリュイユ)』は、スカンジナビアにおいて、最初のリュイユ研究書です(https://areena.yle.fi/1-50217112?seek=626)。そして、美術館もリュイユを蒐集するようになり、個人のリュイユコレクションも生まれていくことになりました。ヘルハンマー氏の展覧会が、フィンランドのリュイユの再評価につながったのです。



動画の内容は以上です。

ついでなので、京都国立近代美術館が公開している「リュイユの歴史講演会」動画も置いておきます。これはもちろん日本語通訳が入っています、


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@tapionokuni